ギター小僧だったのか?
コピーバンドのギター担当ということで、僕の事をさぞかしギター小僧だったんだろうと思っている人のために
僕のギターとの出会い、経歴をお知らせいたします。
僕がギターを始めたのは、中一の時でした。
フォークギター(当時は皆んなそう呼んでた)を親に買ってもらいました。何故だか親がギターを始めろと言ってきたもので。
「買ってくれるのならやろうか」という程度で始めまして、当時流行っていたアリスをコードストロークでジャカジャカ弾いていました。
学校では松山千春、少し時代がずれぎみのビートルズが人気でした。
あと、アイドルが全盛の頃だったので、聖子ちゃん俊ちゃんが休み時間の話題となる良き時代でした。
エレキギターを持っていた奴らはディープパープルなどのギターソロを競って披露し自慢してたものです。
でも、僕はエレキギターには興味を持つことはなく、ただボロロン・ジャカジャカとフォークギターを弾いていました。
高校に入ってからは中学の友達との流れで、ビートルズのコピーバンドを組み、担当はドラムでした。
全然熱心なバンドではなく、練習もたまにそこそこ・・・ライブ開催もなく自然消滅しました。
高校の軽音では一度だけ甲斐バンドのコピーでライブに出ました。この時もドラムでした。
大学に入ってからもベースとサイドギターとボーカルなど、一貫性のない音楽活動を送りまして、、
エレキギター・ベースともに友人からの借り物でまかなっていました。
だからして、マイギターはこの頃もアコースティックギター(この頃はフォークギターとは言わなかった)のみでした。
そんな音楽は好きだが全くこだわりをもたない僕でしたが、大学3年の年末に大きな出会いがありました。
大学時代の僕はとにかくいろんなコンサートに出かけてました。
洋楽・邦楽・アイドルとジャンルにとらわれることなく、多い時には月に2回くらいのペースで観に行ってました。
その時ハマっていた渡辺美里のチケットをプレイガイドで買おうとカウンターに並んだ時に、ふとスタレビのポスターが目に入ったんです。
1986年12月26日大阪城ホールでのスターダストレビューのコンサートでした。
財布の中を見たところ残金がまだいける!そこで衝動的にチケットゲット!
不思議とその時のことはやけに鮮明に覚えているんです。
前から5列目あたりのど真ん中で初のスタレビライブを見ることとなった僕は今までにない衝撃を受けました。
なんやこの人、こんなにすごいギターリフを弾きながら歌を唄ってる!
この日から僕は根本要信者となったわけで、スタレビのツアーに出かけるようになったのです。
その約1年後くらいに僕は、当時要さんが使用していたビルローレンスの赤のテレキャスターを初のMyエレキGuitarとして購入しました。
在庫がなく注文生産となり、約2ヶ月待ってようやく憧れのテレキャスターを自分のものにしたのです。
現在も元気に赤テレ君は僕の相棒として傍にいてくれています。
21才にしてエレキギターを手に入れたという僕は、ギター奏者としてはかなり遅いほうだと思います。
僕にとってギターとは、その楽器自体にこだわりがあるわけではなく、スタレビのギタリストが好きという点が全てなのです。
だから、もし他のコピーバンドをやるとするならば、別にギターではなくてもいいんです。ベースでもドラムでもなんでも構わないんです。
ただスタレビのコピーバンドをやる上では、Guitar以外は考えられないんです。
上手くないのはわかっているのですが、ここだけは譲れないたった一つの僕の居場所なのです。
最後に一言 「僕のワガママに付き合ってくれるメンバーさんには心から感謝です」